2015.8.16 ☆玲子のアイショット☆~名島橋~

今回ご紹介するのは、昭和8年に造られた福岡県の多々良川に架かる名島橋です。

全長204m、全幅24m。耐震性に優れた7つのアーチを描く鉄筋コンクリート橋です。

 

 

 

名島橋を往来する車の数は、一日に約6万台。

今や福岡の東玄関を飾るシンボルとなっています。

 

 

 

橋台の上部には立派な御影石。近づいてみると、とても力強くて立派です。橋の構造体は圧縮力に強いコンクリート。コンクリートは腐食に強い素材だそうで、80年以上経っているとは思えない美しさです。

 

 

 

構造は耐震性に優れたアーチ式。

御影石をふんだんに使っており、力強さの中に美しさもありますね。美しいデザインと当時の架橋技術の粋を集めた、非常に進んだ橋となっています。

 

 

 

名島橋は江戸時代~明治時代後期には簡易的な橋があるくらいで、多々良川を渡るには渡し船が必要でした。1910年に本格的なヒノキ造りの橋が架けられましたが、昭和5年に「福岡を代表する橋を」という地元の皆さんの願いもあり多くの建設マンの皆さんが関わって現在の名島橋が着工されました。こちらのホームページには、当時の様子なども載っているのでぜひご覧ください。

http://www.qsr.mlit.go.jp/fukkoku/najima/history/index3.html

 

そして、着工から2年3か月、昭和8年に竣工しました。

 

 

 

昭和8年当時、自動車時代の幕開け期になぜこのような現在でも通用する破格の大きさの橋が造られたのでしょうか。その建設目的は今でも謎に包まれており、様々な仮説があるようです。

橋幅が広い理由としては、飛行場代用施設として考えていたとか、電車を通す構想があったためなどの憶測がありますが、未だ解明されていません。

 

 

 

これだけ長い橋を人力で架けるのは至難の業でしょう。橋は、川の一部を堰き止め杭や基礎を造り、その上に橋脚を造っていくそうです。橋桁のアーチを施工するための支保工を組み立て、コンクリートが固まるまでしっかり支えなければなりません。この長い橋を造るのに、延べ何万人の建設マンが働いたのでしょうか?夕陽に照らされた橋は、建設マンの皆さんの力強さと優しさがにじみ出ているかのように優美でした。

 

 

 

平成16年、名島橋は土木学会推奨土木遺産に認定されました。土木遺産は、明治から昭和初期にかけ築造され、五十年以上を経過して現存している土木構造物を近代土木遺産と定義し、その中でも歴史的・技術的・希少性において価値の高い近代土木遺産に対し「選奨土木遺産」として認定・表彰する制度を、平成十二年度より創設しているものです。

 

 

 

物や人を渡し、福岡の経済発展や人々の暮らしに役立っている名島橋。それは、80数年前の建設マンの皆さんのおかげですね。昭和初期から、その姿を変えることなく立派に建っています。橋はこれからも街と街を、暮らしと暮らしを、人と人を繋ぐ架け橋となり、未来への懸け橋となっていくことでしょう。

 

 

 

柳野玲子

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